- 1泊2日
- 1日目
青森文学旅 Part1 太宰治「津軽」を追体験する旅へ
- 東津軽、五所川原、西津軽(青森県)
- 予算:15,000円〜
・旅行する時期やタイミングにより変動します。あくまでも目安ですので、旅行前にご自身でご確認ください。
・料金は1名あたりの参考価格で、宿泊施設は1泊2食付き週末料金を参考にしています。
・レンタカー料金(ガソリン代)は含まれていません。
更新日:2024/12/11
青森の文学旅は2回に分けてお贈りします。「Part1」は、青森駅から北をまわって日本海側へ向かう、太宰治「津軽」追体験コースです。秘湯、黄金崎不老ふ死温泉の露天風呂も堪能します。日本文学史上最上級にキザな旅へ、ようこそ。
龍飛崎(たっぴざき)
太宰治文学碑(龍飛崎)
龍飛岬観光案内所「龍飛館」(旧奥谷旅館)
階段国道339号
十三湖
太宰治記念館「斜陽館」
雪を避けるコモヒの街
黄金崎不老ふ死温泉
今回の青森文学旅 Part1は、北端を経由して西へぐるりと周回する太宰治「津軽」ルートです。
鹿子沢ヒコーキのおすすめポイント
- ★ 「ね、なぜ旅に出るの?」「苦しいからさ」という、史上最上級のキザな会話で始まる太宰治「津軽」(本編)。物語を追体験するには、ここ龍飛崎まで、レンタカーのナビを頼りに最短距離で一気に来るのではなく、津軽半島の東側海岸沿いを北へ進む道をぜひお使いください
- ★ そのルートは「松前街道」と呼ばれる古街道で、樹齢約300年の黒松並木が1㎞にわたって続く光景を見ることができます。松林は、強い東風(ヤマセ)から農作物を守る役割を果たしているのだそう。この道をゆけば松前藩が参勤交代する姿を幻視できると思います(笑)←本当の理由は、スポット3でね
- ★ 龍飛崎と竜飛岬。「たっぴざき」か、「たっぴさき」か。岬にそそり立つ灯台の名称は龍飛「埼」で、濁らず「さき」。日本語は悪魔の言語だといわれる原因がここにも見て取れます。もともと「みさき」とは、半島の先(突端)の意味を持ち、単に「さき」と呼んでもいいところを、わざわざ敬称して「御(み)」をつけたのはなぜか。そこは海藻や魚介をもたらす恵みの場所だったから……ってね、言われているようなのですよ(照)
鹿子沢ヒコーキのおすすめポイント
- ★ こちらの文学碑は、公的な情報がほとんどありません。またネット上では、ほかの碑と混同されるなどし、まったくひどい状況です。なぜだろう? と思い、しつこく調べてゆくと……どうやら私有地に建てられているために、正確な情報を発信するルートに乏しいことが原因であるように思います(NPO法人文学旅行調べ)
- ★ 私有地なのには理由があります。概要に示したとおり、この文学碑は一人の友人の遺志によるものだったからです。友人の名は平山四十三(よそぞう)といい、青森県内で眼科医院を開業していました。1975(昭和50)年、平山は64歳で病没するのですが、ご遺族がその遺志を継ぎ、この地に碑を建立したのです
- ★ 碑文に「津軽」の一節が刻まれました。「ここは、本州の袋小路だ。読者も銘肌せよ。諸君が北に向つて歩いてゐる時、その路をどこまでも、さかのぼり、さかのぼり行けば、必ずこの外ヶ浜街道に到り、路がいよいよ狭くなり、さらにさかのぼれば、すぽりとこの鶏小屋に似た不思議な世界に落ち込み、そこに於いて諸君の路は全く尽きるのである。」
- ★ この一節が碑文に選ばれたのは、なぜだったのでしょうか。ちょっと立ち止まって考えてみるのも一興です。小生の考えは……おそらくですが○X*♬◎なのではないかと(虚無)
龍飛岬観光案内所「龍飛館」(旧奥谷旅館)
太宰治が友人(N君)と滞在した「奥谷旅館」の跡。1999年まで営業していたが、外ヶ浜町に譲渡されたのち「龍飛岬観光案内所 龍飛館」として整備され、現在に至る。
鹿子沢ヒコーキのおすすめポイント
- ★ こちらの用字(使用する文字)は、龍飛「岬」観光案内所。もー、何とかしてくれー! なぜなんだー(笑)。案内所とはいえ、旅館の姿を保存している施設でもあるので、館内では太宰が友人のN君と過ごした部屋が再現されています
- ★ ここでスポット1の画像2枚目「龍飛地区の家々」をご参照ください。太宰は、N君とめぐる旅の中で、龍飛の景色をこう記しました。「路がいよいよ狭くなつたと思つてゐるうちに、不意に、鶏小舎に頭を突込んだ。(中略)兇暴の風雨に対して、小さい家々が、ひしとひとかたまりになつて互ひに庇護し合つて立つてゐるのである。ここは、本州の極地である。」
- ★ ↑まあ、何と辛辣な表現でしょう……。太宰は、こうした言い方でしか、持って生まれた宿命から脱出・逃亡することができなかった──決して呪っていたわけではなく、愛憎相半ばする混沌の、これは心象風景なのか──ということなのかなぁ……なんてね(照)
- ★ たしかに津軽は、江戸期から近代まで、稲作にとって厳しい気候のなかで貧しさと戦い続けた歴史を抱えています。スポット1で松前街道(青森県側)ルートをおすすめしたのは、実は沿道にヤマセ(東北地方の太平洋側に吹く、冷たく湿った風)によるケカチ(飢饉)で亡くなった人たちの供養塔を今でも多く見ることができるからです。太宰は、そうした津軽の貧しさと、大地主で金融業を営む旧家に生まれた自分の宿命を、この旅の中で凝視していくのです
- ★ ↑この感覚、ちょっと覚えていてください。津軽は本当に貧しかったのか、2日目にめぐる【Part2】旅で、ひっくり返っていきますから
鹿子沢ヒコーキのおすすめポイント
- ★ ここでちょっと気分を変えましょう。文学から少し離れて、名所を歩くことにいたします。階段ストレッチという感じで、身体性を取り戻しませんか?
- ★ 龍飛漁港から龍飛埼灯台を結ぶ国道の階段数は、なんと362段。総延長388.2m、標高差約70m。登りはなかなかハードですが、休憩できるようにベンチが置かれています。ありがたや、ありがたや
- ★ ちょっと脱線します。アート(Art)って、芸術と訳されますよね。でも、語源となったラテン語「ars」は“手の技”といった意味なんです。坂本龍一さんが座右に置いていた「Ars longa, vita brevis.」(芸術は長く、人生は短い)なるラテン語は、ヒポクラテスの言葉だったことでも分かるように、実は医療技術(手術)の習熟には長い時間を要する、という意味でした。あいだを全部すっ飛ばして言いますと、本来のアート(芸術)は身体性を伴っている、ということが言いたいのですよ(照)。みなさま、頭でっかちにならぬよう、この階段国道で身体を使って歩きましょう、ご一緒いたしますから(笑)
鹿子沢ヒコーキのおすすめポイント
- ★ 太宰は十三湖を訪れ、「浅い真珠貝に水を盛つたやうな」と評しました。しかし、その文章の結語は「人に捨てられた孤独の水たまりである。」これが太宰なんですよねぇ
- ★ この「人に捨てられた湖」という表現は、確かにその通りかもしれません。というのも、湖の底から室町時代の巨大都市遺跡が発見されたのです。発見されたのは比較的新しく、1991年のこと。室町時代から鎌倉時代にかけて、この地に根を張った安東氏は、海岸線に備えた巨大な港湾施設(十三湊:とさみなと)を拠点に、広く海上交易を経営し、ここに都を形成していたことが明らかになったのです
- ★ 栄華を極めた安藤氏はしかし、 室町末期に新興した南部氏に滅ぼされます。その南部氏は、日本海側の港湾を経済的な要衝とは捉えず、内陸へ引き返してしまいます。十三湊の繁栄は、つまり「捨てられ」てしまったのです。ここまでは判明しているのですが、この安東氏については、いまだ謎が多く、想像力の旅が楽しめるのもまた確かでして……
- ★ ところで、それはそうと、腹が……へった(井之頭五郎ふうに@孤独のグルメ)。そうだ! 昼食といきましょう。ここは十三湖、名物のしじみラーメンで決まりじゃないか! 昆布だしとじじみのうまみが織りなす芳醇な香りと味を堪能しながら、アルコールで疲れている肝臓にも良いという、ね。いや、五郎さんは下戸だった。でも、うーん、おいしー
鹿子沢ヒコーキのおすすめポイント
- ★ 太宰治の生家は豪邸です。津島家は、この家を1950(昭和25)年に旅館業者に売却、買い取った経営者はこの建物を、戦後の没落貴族を描いた太宰の小説「斜陽」から斜陽館と名付け、文学館を併設した旅館として営業を始めました
- ★ 開業当初は多くのお客を集めたものの、平成になると徐々に客足は遠のき、やがて旅館業者も廃業に。旅館事業をたたむ直前、1996年に当時の金木町が建物を買い取り、同じ名称「斜陽館」を残しつつ文学記念館として保存・公営することに。現在は五所川原市立の施設となっています
- ★ 実際に入ってみると、その豪邸ぶりに驚かされます。旧家・名家とはいえ、金融業を営み肥大化したこの家に、太宰は何を感じていたかというと、「風情も何も無い、ただ大きいのである。」と述懐するのです
- ★ ↑この感慨を勝手に翻訳すれば、おそらく階級階層の否定と持って生まれた宿命への抵抗、つまり自分自身からの逃亡を表していた……のではないでしょうか。太宰はついには、自ら定めた宿命(あるいは美意識)へ殉じるに至るのですから、凡人に持てる覚悟ではないと思うのですよ、はい
鹿子沢ヒコーキのおすすめポイント
- ★ 太宰は父親の生まれた家に立ち寄るため、木造のM薬品問屋を訪ねます。そして「木造は、また、コモヒの町である」と述懐します。
- ★ コモヒ(こもい)は、当地では一般に「小店(こみせ)」と呼ばれており、太宰もそれを知っていて、コモヒはコミセの訛ったものと信じられている、と語ってゆきます。そして、コモヒに隠背(このせ)あるいは隠日(こもひ)という字を当てることを想像して、ひとり悦に入るのでした。少し遠方ですが、木造から南へ30kmほど行った黒石市には「中町こみせ通り」があり、藩政時代から残るアーケードが観光名所となっています(画像3枚目)
- ★ 太宰が津軽を旅行し、木造に立ち寄ったのは1944(昭和19)年のことですから、よく残っているものだと思います。などと言えば、怒られるかな(泣)
黄金崎不老ふ死温泉
世界自然遺産「白神山地」の麓、日本海に沈む夕陽を一望できる黄金崎に立つ一軒宿。野趣あふれる露天風呂の泉質は、湧き出る瞬間こそ透明だが、空気に触れることで含有鉄分が酸化し赤褐色となる。
鹿子沢ヒコーキのおすすめポイント
- ★ 「津軽」での太宰は深浦に宿泊します。宿は「行きあたりばつたりの宿屋」としか記述されておらず、詳細は不明。なので同じ深浦の一軒宿をチョイスしました。この温泉、すごいんです
- ★ 何がすごいって、画像で分かるように海と一体化してるんです。海に近いとか、海が見えるとか、じゃないんです。おすすめは、宿泊者限定の夕暮れ時の入浴。塩分をふんだんに含んだ赤褐色の“熱の湯”と夕日によって周囲が黄金色になる光景は、もしかしてここは極楽浄土?と勘違いしそう。露天風呂は混浴と女性専用の2カ所。女性の方はしっかりした専用の湯あみ着を着用してご入浴できます
- ★ 深浦で宿泊した太宰は、部屋が汚いと悪態をつきつつ「お膳の上にはタイと アワビの二種類の材料でいろいろに料理されたものが豊富に載せられてある。」と、当地の魚介を堪能したようです。現代の深浦は、マグロをブランド化しているので、お風呂上がりの夕食に「深浦マグロ」をぜひ。下北・大間のマグロに負けてませんっ!
- ★ 温泉そのものは“不老不死温泉”と表記し、一軒宿のほうは“不老ふ死温泉”と書くようです。ですが、露天風呂を示す看板には「ふ」を記していて……よく分かりましぇーん。ちなみに青森には、もう1カ所、外ヶ浜町に“平舘不老ふ死温泉”があります
- ★ ちょっと話はズレますが、恐山を抱える青森の人々は、不老不死といい、イタコといい、飢饉の記憶もあって、どこか「常世への希求」(永遠の生命を求める気持ち)を強くもっているのではないか、と感じるのは小生だけでしょうか……
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