小林エリカの旅と創造 湯治

小林エリカの旅と創造

#37 湯治
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街の真ん中を流れる細い川からは、
ところどころ白い湯気が立ち昇っている。
熱い湯が湧いているから。
チェコのプラハからバスで一時間ほどの街、
カルロヴィ・ヴァリ。
川の両岸に並ぶのは、黄色やピンクの壁の
如何にも西欧風の建物だ。
けれど、その光景はどこか懐かしい。
なんだっけ? と思いながらふと看板を見たら、
姉妹都市は「草津」と書かれてあった。
そうだ、これは、草津の光景だ。すごく似ている。
私はひとりで何度も頷きながら膝を打つ。

カルロヴィ・ヴァリ。
14世紀なかば、ボヘミア王であり後に神聖ローマ帝国皇帝になるカール4世が鹿撃ちをしていたとき、鹿が傷を癒すために浸かっていた泉を見つけたことがはじまりという、由緒正しき温泉地である。
旧ボヘミア地方、ドイツ語だとカールスバード。18世紀には保養地として人気になって、かの文豪ゲーテが愛した街。ゲーテとベートーヴェンもこの地で邂逅したという。
そこにはラジウム泉が湧いている。
湯に浸かるだけではなく、湯を飲むのが良いとされていて、土産物屋にはジョウロのような形をした小さなコップが幾つも売られていた。街のあちこちに泉の水を汲める小さな噴水みたいな場所があり、観光客たちは一様にそのコップで湯を飲んでいた。

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私はこのところ体調がすぐれない。軽症だったけれどコロナにかかったから、いわゆるこれがコロナ後の体調不良や疲れというやつか。頭もこころなしかぼんやりする(まあ、いつものことでもあるが)。コロナにかかった友人たちに聞いてみたらやっぱり病後ひと月ほどはそんな症状だったらしい。漢方や鼻うがいを勧めてもらった。あとは身体を温めるのがいいのだとか。
そんなこんなでいま一番やってみたいのは湯治。

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カルロヴィ・ヴァリの街を思い出し、あんなところでひと夏を過ごしたらさぞやよかろうと想いを馳せる。あのコップで湯を呑んだら、なにかどこか治りそうな気さえする。ゲーテやベートーヴェンが滞在していたというだけあって、街には温泉の他、オペラハウスやなにかもあったから、退屈もしなそうだ。

朝から晩まで、いつでも気ままに湯に浸かり、のんびり過ごす。
ゲーテのみならず、日本でもむかしの文豪たちは大概そんな湯治をしたり、保養地で長いこと過ごしたりしているから、羨ましい。
私はぼんやりした頭を抱えたまま、あくせくして、日々が過ぎてゆく。
ひと月とはいわない、数日でもいい。
草津へ行くか、あるいは・・・・・。

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小林エリカ
Photo by Mie Morimoto
文・絵小林エリカ
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。光の歴史を巡るコミック最新刊『光の子ども3』(リトルモア)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)で第8回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。そのほかシャーロキアンの父を書いた『最後の挨拶His Last Bow』(講談社)、自身初となる絵本作品『わたしは しなない おんなのこ』など。