小林エリカの旅と創造 湖

小林エリカの旅と創造

#24 湖
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曲りくねる山道を抜けると、
ぱっと視界が開ける。
太陽の光を反射して輝く湖面は、
濃い青にも白にも見える。
広々とした湖を遊覧船が
ゆっくりとしたスピードですすんでいる。
透明な水の向こうに湖の底は見えない。

湖はどこまでも、神秘的で、美しくて、怖ろしい。
だが私は湖にどうしても惹かれてしまう。
海水ではないから、溺れやすいとも聞く(しかも私は泳げないし)。
けれどそれでも、その深く冷たい底を覗き見たいと思わずにはいられない。

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もう8年も前のことになるが「十和田奥入瀬芸術祭」に参加した際、十和田湖の歴史をモチーフにした「湖底」という短編小説を書いたことがある。
そのために私は十和田湖を幾度も訪れ、遊覧船にひたすら乗り、十和田湖のまわりに暮らしている人たちに話を聞いた。

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十和田湖には伝説が伝わる。
八郎太郎というマタギの男がいた。男は獲ったイワナを仲間のぶんまで食べてしまった。そうしたら恐ろしく喉がかわき、男は川の水を呑みはじめた。しかし喉のかわきはいっこうにおさまらず、三十三夜川の水を呑みつづけ、男はついには三十三尺の龍になってしまった。龍は山のうえへ駆けあがり、そこに湖を作った。それが十和田湖になる。そして龍になった八郎太郎はその湖の底へもぐり、湖のぬしになったのだった。

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その湖のほとりにある十和田神社に占場(うらないば)と呼ばれる場所がある。
人形型の和紙「おより」に願い事を書き、五円玉を包み、湖へ投げ入れ、それが浮かべば願いは叶わず、沈めば叶うという。

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十和田湖の土産物屋で育ったという二十代の女の人が、中高生の頃、親友の女の子と一緒に崖の急な梯子を降りて、こっそり占場へでかけていったことを話してくれた。
そこでふたりは学校であった楽しかったことや嫌だったことを喋ったり、PUFFYだとかモーニング娘。の歌なんかを大声で歌ったという(そこでは声が響いて歌が上手に聞こえるのだとか)。
不思議とその場所では、いつも二人ではなく三人でお喋りをしているような気持ちになったという。
三人目は勿論、湖の神様である。

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コロナが流行るよりもずっと前のことであったが、十和田湖のまわりの店や宿の窓にはいくつも板が打ち付けられていた。かつて慰安旅行やツアー旅行で賑わった十和田湖も随分静かになってしまったと観光客相手の店の人たちは口々に言っていた。思えば私も高校の修学旅行では十和田湖を訪れ、「乙女の像」の前で写真を撮ったのだった。

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湖の周りの景色は、変わった。いまなお変わり続けているだろう。
けれど、そこに湖はあり、その周りには、人が生きて死に、暮らし続けている。
そのことが私にはどこまでも尊く思える。

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小林エリカ
Photo by Mie Morimoto
文・絵小林エリカ
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。光の歴史を巡るコミック最新刊『光の子ども3』(リトルモア)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)発売中。