小林エリカの旅と創造 宝石

小林エリカの旅と創造

#23 宝石
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翡翠のような乳白色の青色。
石は微かに発光している。
そっと手のひらに載せてみる。

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我が祖母は愛知県岡崎の宝石屋の娘であった。戦争中の供出で宝石はみんな失ったが、戦後は幾ら金がなくても飯のかわりに宝石や指輪を買うような人であった。
しかし私は別段、宝石に興味もなかったし(そもそも高くて買えないし)、まさかその魅力に取り憑かれようとは、思いもよらなかった。
とはいえ私が夢中になったのは、宝石は宝石でも人工宝石である。
「イイモリ・ストーン」。日本人科学者が造った、一連の宝石である。

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科学者の名は飯盛里安。
金沢出身で、幼い頃から鉱石を愛し、東京帝国大学卒業後、イギリス、オックスフォード大学でフレデリック・ソディなど名だたる放射体化学の研究者たちのもとで学んだ人物である。
帰国後、時は第二次世界大戦。理化学研究所の研究員だった飯盛は、陸軍と共同の極秘原子爆弾開発計画「ニ号研究」に参加、福島県石川町の地を掘り返し放射性鉱石を探したのだった。

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しかし日本は原子爆弾を開発するよりも先に、広島と長崎に原子爆弾を投下され、敗戦を迎えることになる。
戦後、日本では放射性物質にまつわる研究が一切禁止された。
研究も何もかもを失った飯盛が、留まり続けた福島県石川町の地ではじめたのが、人工宝石造りであった。

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きっかけは、かつて水晶山で拾った陽起石。
いつもテーブルの上に置いて大切にしていたのだが、それもまた戦災で失われてしまった。その石を取り戻したいと思ったことが、はじまりだったとか。
そうして彼の手によって、幾種類もの人工宝石−−ビクトリア・ストン、メタヒスイなど−−が生み出され「イイモリ・ストーン」と名づけられたのだった。
どうやらそれらは1990年代まで製造されていたらしいが、「本物」を好む日本人にはあまり流行らなかったらしく、現在はもう造られていないという。

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私はその逸話に惹かれ、なんとしても「本物」の「イイモリ・ストーン」を手にしたいと考えた。
探すとeBayに幾つか出品されていて、私はそのうちのひとつを入手した。
アメリカのオークリッジから、それは航空便で送られてきた。

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一度失われてしまったものは、決してもう取り戻すことは叶わないのかもしれない。けれどそのかわりに生まれでた宝石たちは、私にはとてつもなく尊く思える。
その淡い輝きに、私はいつまでも見惚れている。

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小林エリカ
Photo by Mie Morimoto
文・絵小林エリカ
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。光の歴史を巡るコミック最新刊『光の子ども3』(リトルモア)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)発売中。