文人たちの軽井沢へ

旅と創造

連載第15回


文・絵 小林エリカ

大きく息を吸いこむと緑の匂いがする。
雨は降りしきっていたけれど、そのせいで木々の葉が露で眩しく見えた。
長らくどこへも出かけていなかったのだが、先日取材で軽井沢へ行く機会があった。
日帰りだったが、万平ホテルでフレンチトーストを食べ、森を散歩し、至福の時を味わった。

私にとって軽井沢は特別な場所である。
ときおり白い煙のあがる浅間山を見上げるのもいいし、信濃毎日新聞を読めるのもいい。
夏に涼しいのも蚊がいないのもいいし、冬の凍るように冷たい朝もいい。
まあひとことで言えば、軽井沢、大好き!
それになにより、歩けば作家や詩人たちの家や別荘に突きあたるのがいい。

特に私のお気に入りは、堀辰雄が晩年暮らした旧居跡。
軽井沢駅からローカル線に乗って2駅の信濃追分駅から歩いて20分ほど。
それは旧中山道、本陣や油屋が並ぶ道沿いにひっそりとある。
家もまたこじんまりとした建物なのだが、その書庫というのが、まさに夢のようなのだ。
四畳半ほどの畳敷きの小屋、壁一面にずらりと並ぶ本。
蔵書の並び順まで指示していた渾身の書庫だったらしいが、その本棚に本が並ぶのを見ずして亡くなったという。
夢は儚いが、本は、書庫は残る。

もうひとつ目が離せないのが、有島武郎の元別荘「浄月庵」。
こちらは塩沢湖の湖畔にある軽井沢高原文庫に移築されたもの(ちなみに、ここには堀辰雄の山荘も移築保存されている)。
現在、1階部分は「一房の葡萄」という洒落たライブラリーカフェになっているのだが、そこに建てられている立て看板の迫力が凄い。
「大正十二年六月、彼が雑誌記者波多野秋子と情死した別荘としても名高い。」
しかもふたりは縊死だったらしいし、これって所謂事故物件では……なのであるが、それも含めてこの別荘を保存している凄みに圧倒される。

そしていま私が一番訪れてみたいのは、水上勉の元別荘。
なんと「エルミタージュ・ドゥ・タムラ」というフレンチのレストランになっているという。
実は、私は子どもの頃、水上勉の「土を喰う日々」の古い梅干しの話を読んであまりにも深く感動し、手紙まで出したことがあったのだ。そうしたら、なんとご本人から直々に筆文字でお手紙が書きこまれた「ブンナよ、木からおりてこい」を贈っていただき、いまなおそれは私の宝だ。
軽井沢に住んでいるらしいということと、亡くなったことは聞いていたが、その家がレストランになっていたとは、先日はじめて知った。
生きているうちにご本人にお会いできることはなかったが、かつてその人が暮らしていた家を訪れることができるとは、幸福だ。
ちなみにレストラン、お料理も素晴らしく美味しいらしい。
私はいまから軽井沢を、そこを訪ねることができる日を、虎視眈々と狙っている。

小林エリカProfile
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。光の歴史を巡るコミック最新刊『光の子ども3』(リトルモア)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)発売中。